あなたの周りにあるものは、
あなたの存在を確かにしてくれる。
互いが互いを認識することで、
確かに自分がいることを認識できる。
例えばあなたが、真っ白な空間、
なにもない空間にいて、
自分が確かにそこにいると
言い切れるだろうか。
そこにだれかがいれば、
会話をする、
触れる、
だれかがいることで、
自分自身の存在を認められる。
この話は高々そんな話。
よく考えること、
“僕はなぜ写真をとるのだろう”
僕はきっとそこにいたことを
記録するために
写真を撮るのだと思う。
綺麗な空を見たとき、
その空を見た自分がいたこと。
誰かが笑ったとき、
笑顔を向けられた自分がいたこと。
大切な人の大切な瞬間をみたとき、
その場に自分が居合わせたこと。
きっと僕はそんな訳で
写真を撮るのだと思う。
何か心を動かされたとき、
自分が居合わせた幸せを噛み締め、
シャッターを切るのだと思う。
不確かな自分の存在を
確かなものにしてくれる写真。
その瞬間に自分が確かにいたことを
教えてくれた写真。
写真なんてのは今の僕にとって、
高々そんなものに過ぎない。
なぜその瞬間に惹かれたのか。
きっと一枚一枚、
何かを感じて生まれた作品。
写真を撮り始めたあの頃は
いいと思った瞬間に、
何も考えずシャッターを切っていた。
そんなことを思い出しながら
カメラを一台もって、
今日もまた、歩き出す。